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大阪高等裁判所 昭和42年(ネ)962号 判決

大阪市東淀川区淡路本町一丁目三八番地

控訴人(附帯被控訴人) 石津末蔵

〈ほか一名〉

右訴訟代理人弁護士 西村日吉麿

同右 水島林

同右 和島岩吉

同右 岡田忠典

豊中市三和町二丁目一番地三〇

被控訴人(附帯控訴人) 山田忠雄

右訴訟代理人弁護士 柴田徹男

右当事者間の右事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

一、原判決中控訴人(附帯被控訴人)両名の敗訴部分を取消す。

二、被控訴人(附帯控訴人)の請求を棄却する。

三、被控訴人(附帯控訴人)の附帯控訴を棄却する。

四、訴訟費用は、第一、二審を通じ、これを被控訴人(附帯控訴人)の負担とする。

事実

控訴人(附帯被控訴人、以下控訴人と略称)両名訴訟代理人は、控訴及び附帯控訴につき主文と同旨の判決を求め、

被控訴人(附帯控訴人、以下被控訴人と略称)訴訟代理人は、控訴につき、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人らの負担とする」との判決、附帯控訴につき「控訴人らは、各自、被控訴人に対し、金一九、八〇六、八四四円、及び内金一二、六五六、〇五二円については、控訴人石津末蔵につき昭和四一年六月一四日から、控訴人石津源左衛門につき、同年同月一三日から、内金七八、五一一円については、各同年八月二四日から、内金一、九九八、七一八円については各昭和四二年五月三一日から、内金三、七一一、四六一円については同年一一月一八日から、内金一、二五三、四五六円については、本判決言渡の日から、それぞれ支払済に至るまで、年五分の割合の金員を支払え、附帯控訴費用は控訴人らの負担とする」との判決及び仮執行の宣言を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用、認否は、左記の点を附加するほか、原判決(更正決定を含む)事実摘示のとおり(但し原判決二枚目裏末行の「握力抵下症」を「握力低下症」と、四枚目裏三行目の「化濃」を「化膿」と、四枚目裏五行目の「欧吐」を「嘔吐」と、五枚目裏八行目の「前記(二)(1)」を「前記(一)(1)」と各訂正し、原判決二枚目裏一一行目の「接触し」の次に、「熱湯を浴びたように感じた瞬間、跳ね飛ばされて意識を喪失し」を加え、同三枚目裏一行目の「傷害を受け、」の次に「(一)昭和四〇年一月二二日、大川記念病院で受診、(二)同年一月二五日から同年二月五日まで淀川キリスト教病院へ通院、(三)同年二月八日から同年二月一二日まで吹田市民病院へ通院、(四)同年二月一七日から同年八月三日まで阪大病院へ通院又は入院、(五)同年八月頃から同年九月二四日まで阪急病院へ入院、夫々治療を受け、右(一)(二)の大川記念病院と淀川キリスト教病院に要した費用は控訴人末蔵に於て支払ったが、右のほか、」を加え、同四枚目表一一行目の「原告は」の次の「事故発生直後意識不明となり」を削り、「原告は」の次に、「歩行中、背後から、突然車の爆音がきこえると同時に、熱湯を浴びたように感じた瞬間、跳ね飛ばされ、意識を喪失したが、次の瞬間に気付き、一〇米先に停車中の控訴人源左衛門運転の車の窓にすがり、事故の発生を告げた。その後如何にして大川記念病院に来たかは記憶はないが、控訴人末蔵の使用人の茶谷某が連行したものの如くである。当時、真冬で厚着しており、洋服その他の衣類を脱がされた際に、手、肩、腰等に激痛を感じ、はじめて病院に来ていること、注射の際の痛みで治療を受けていることを知り、夢中で右肩と頭部の打撲を訴えたのである。診断の結果は、肩関節部打撲傷とされ、誠に軽症である旨の診断であったが、当日午後六時頃帰宅し、寝床に横臥し、同日中は食事を摂らず、翌二三日も四肢、上下顎、こめかめの激痛で食事せず、翌二四日に牛乳等の流動物を僅かに摂ったのである。この間、頭痛、嘔吐、五体の所々の痛みを感じ、意識絶え絶えとなり、朦朧としてきたので、実父のすすめもあって、翌二五日、近所の淀川キリスト教病院で診断治療を受けることに決め、途中、控訴人末蔵方に立寄りその旨を伝えたところ、同人は自発的に同行してきた。ところが同人は、診察に立会を要求して無断で入室し、被控訴人が肩、大腿部、頭部の疼痛を訴えると「この餓鬼は当り屋だ。頭の痛いのは嘘だ、見る必要はない。」と繰返し、医師から退去を促がされても応ぜず、被控訴人の首根を殴打し、傷害部分を打たれた被控訴人が苦しむ様子に医師も窮し、他の病院へ行けと、折角書きかけていた処方箋も破り捨て、被控訴人は治療も投薬も受けずに帰宅し、横臥、安静にしたが、頭、頸、肩、腰の痛みに堪えず、二九日診察と治療を受け、次いで同年二月一日、同月五日頭、頸、腰の痛みを訴えたところ、頭部内出血の心配もあるからとの理由で、設備のある吹田市民病院での診察をすすめられ、同月八日同病院で頭部外傷と診断され、脳内出血のおそれもあるからとて阪大病院の診断をすすめられ、」を加え、同六枚目裏七行目の「接触したという点は争う。」の次に「即ち、控訴人源左衛門は、被控訴人が接触したと指示する地点より一・二メートル手前で車の右折を開始したのであるから、右地点は、車の後尾が旋回することにより車の後尾から一・一五メートル外部へ出ていた積載木材の端が回る範囲内には入らず、接触が生じ得る筈がない。しかも」を加え、同六枚目裏一〇行目「痕跡は認められず、」の次の「その直後大川記念病院で診察をうけさせた際にも、同人の身体には何の異常もみとめられなかった」。とあるを、「被控訴人は跳ね飛ばされたというけれども、当時、路面は水にぬれていたにもかかわらず、被控訴人の着衣にも泥水附着等転倒の痕跡も全く認められず、被控訴人は、当初、右上膊部を打ったと言っておりながら、その直後控訴人源左衛門らが大川記念病院に同道し、診察を受けさせたところ、前言を飜えし、右肩の附近を打ったと言っていたが、その部分の外側に何の症痕も残さず、X線による撮影をしても骨その他の異常はなかった。然し同病院では、被控訴人が右肩関節部を打ったと言い、その痛さを訴えるので、その旨の診断をせざるをえなかったものと思われ、更に被控訴人は、右病院は信用できないから、淀川キリスト教病院への転医を希望したので、これを容れて控訴人も同道して受診させたが、前の病院と同じく異常が認められなかった。その上被控訴人は、背中が痛い、右大腿部が痛いと訴え、受診の態度が甚だ曖昧であるのみならず、転々と病院を変え、この間、被控訴人は数名の者を従えて控訴人末蔵方に来て、暴言をはき、法外な金員を要求してきた。」と改める)であるから、之を引用する。

(被控訴代理人の主張)

一、療養関係費用

被控訴人は、第一審判決後、阪大、労災、服部中央各病院に於て診断又は加療を受け金四、二四六円を支出した。これを附帯控訴により、新たに請求する。

二、逸失利益

被控訴人は、後記後遺症の悪化のため、昭和四二年五月七日から、渡辺信明商店を総欠勤するのやむなきに至り、無収入となった(尚、昭和四二年一月から五月までは金四二、〇〇〇円の収入をえた)。そこで昭和四三年一月以降無収入とし、平均余命年数四一、四七年、労働可能年数三五年としてホフマン式により計算すると、別紙(一)のとおり金一四、三三六、一四七円となる。ところで原審では、逸失利益として金一〇、六二四、六八六円が認容されているので、残額金三、七一一、四六一円を附帯控訴により追加請求する。

三、慰藉料

被控訴人は昭和四二年五、六月頃から、後遺症である慢性頭痛、めまい、嘔吐、耳鳴り等が悪化し、右半身運動神経麻痺、憂うつ感等、心身に著しい障害を来し、右上肢の機能が全廃し、これを右肩関節前方及側方に挙げることができず、右肘関節以下の機能も全廃の障害を来し(身体障害者等級表による級別二級)約五〇米位しか歩行できず、約五分しか起立できず、階段の昇降には手擢りを要し、握力は右手零、左手二〇瓩となり、昭和四二年六月以降は勤務不能で自宅療養中であるが、現在では生きた屍である。右のような病状のため、大阪府から身体障害者と認定登録され、同手帖の交付を受けた。右身体障害者と認定されることは人間として活動力、経済力を喪失したものである。こうして回復の望みもなく、日夜苦悶して過すことは死以上の苦痛である。従って少くとも金二〇〇万円の慰藉料を以て慰藉されるのが相当である。

よって、原審認容分金一〇〇万円を差引いた残額金一〇〇万円を附帯控訴により請求する。

四、弁護士費用

(一)  被控訴人は本件控訴に際し、訴訟代理人となった弁護士に、昭和四二年八月八日、金三五、〇〇〇円、同月二三日金八〇、〇〇〇円、合計金一一五、〇〇〇円の実費を支出した。

(二)  本件控訴事件に対し、勝訴判決と同時に、訴額の一割に相当する金一、二五三、四五六円の報酬の支払を要する。

(三)  右のほか、原審請求額二、九一五、六二九円と認容額九一七、五一一円との差額一、九九八、一一八円。

以上、弁護士費用合計金三、三六六、五七四円を附帯控訴により請求する。

以上の通り、附帯控訴として、(イ)逸失利益追加分と新たな弁護士費用の合計五、〇八四、一六三円の内金五、〇七四、一六三円、(ロ)慰藉料と従前よりの弁護士費用の合計二、九九八、一一八円の内金二、一九八、一一八円(右(ロ)に原審認容額一二、五三七、五六三円を加算すると、金一四、七三二、六八一円、これに(イ)を加算すると金一九、八〇六、八四四円)。

(控訴代理人の主張)

仮に、控訴人源左衛門運転の車が、被控訴人と接触したとしても、被控訴人自ら求めて接触したもので、控訴人源左衛門に過失はない。被控訴人が自ら求めて接触したものではないとしても、控訴人源左衛門に過失はない。即ち控訴人源左衛門は時速約五乃至六粁に減速北進し、東方へ右折しているが、同方向に歩いている被控訴人を追越すにあたって、追越完了まで、被控訴人の動向に注意を払う義務はない。右車の全長は、五、八四米であるから、時速五粁の速度であれば通過するのに五秒を要し、被控訴人も同方向に歩行していたのであるから、通過時間は七、八秒を要する。接触したという地点は、道路の西端から一、四〇米離れた地点であるから、被控訴人は七、八秒の間、右車を避けずに同一方向に歩行していたか、佇立していたことになる。このような被控訴人の動向にまで控訴人源左衛門が注意する義務はない。仮に右控訴人に過失があったとしても被控訴人にも、車と被控訴人との速度の差は僅かに時速三粁余に過ぎず、被控訴人の僅かな注意で容易に接触を避けえたのに、これを避けようとせず、漫然と同一方向に歩行していたか佇立していたという点に、重大な過失がある。又、仮りに接触したとしても、右のような相互の位置関係と速度の関係から見て、被控訴人が転倒するようなことは全く考えられない。

尚、被控訴人は、身体に障害がないのに、巧妙に医師を欺き、診断書を作成させ、果ては服部中央病院整形外科医師赤松秀夫をして右上肢の機能が全廃したもの(右肩関節を前方及び側方に挙げることができず、右肘関節以下の機能を全廃したもの)、右下肢の機能の著しい障害(約五〇米位しか歩行できず、約五分位しか起立し得ない、階段の昇降には手すりを要す、)との診断書を作成させ、これを以て大阪府より身体障害者手帖を貰い受けるという実に恐るべき人物で、交通事故に藉口して他人より巨額の金品を巻き揚げようとする許し難い人間である。

≪立証省略≫

理由

一、控訴人末蔵が、肩書地において石津建具店を経営し、控訴人源左衛門がその被用者であること、同控訴人が本件事故当日である昭和四〇年一月二二日午後三時二〇分頃、控訴人末蔵所有の本件事故車である小型普通貨物自動車(大4、ま、二二六四号)を運転し、本件事故現場である大阪市東淀川区淡路本町一六九番地先T字型三叉路を通行したことは当事者間に争いがない。

二、よって、次に本件事故の成否について審按する。≪証拠省略≫を綜合すると、次の事実を認めることができる。

控訴人源左衛門は本件事故車である前記普通貨物自動車(巾一、六九米、長さ四、七米)に建具製作材料である長さ一三尺の板状木材約二屯(荷台後部から突出している木材の突出部分の長さ、約一、一五米)を積んで時速約五粁位の低速で、本件現場附近の道巾五、八米位のコンクリート舗装道路のT字型三叉点の南方から、右三叉点に向けてほぼ道路中央を北進し来り、T字型のカギ部分で右折しようとしたが、丁度自車の左側前方には軽四輪車が停車し、また、二、三人の歩行者があり、右側前方にも老人と子供が歩行しているのを認めたので、右折にあたり、これらに接触しないように注意したけれども、道路左側の歩行者中の一人であった冬オーバーを着用して北方へ歩行中の被控訴人の背後からその右上腕部附近に右木材の突出部分を接触させた。同控訴人は、右接触の事実にも気付かず、右折完了後、前方針路に他の車輛があった関係上、右三叉点東方で一時停止したところ、同所へ被控訴人が走り寄り、車の左側の窓から同控訴人に対し、大声で「気をつけんか、当ったやないか、どうしてくれるか。」とどなりつけたので、同控訴人は驚いて下車し、被控訴人が負傷箇所として指示する同人の右上膊部を見たが、外観上は格別接触ないし衝突の痕跡を認めないので、同控訴人としては、果して接触したかどうか不明であったが、取敢えず控訴人末蔵に連絡して、その使用人や被控訴人らと共に、附近の大川記念病院まで歩いて行き、診察を受けた。X線検査の結果では骨に異常はなかったが、同病院の医師大川勇は、被控訴人の申告を参照し、全治約一〇日間の右肩関節部打撲症と診断した。

三、(一) 被控訴人は、右認定のほかに、事故車との接触により路上に跳ね飛ばされ、頭部外傷及び大腿部打撲症を受け、硬膜下血腫を生じ、握力低下等の後遺症を生じたと主張するので、検討する。

右主張についての証拠として、被控訴人の挙示するものとしては、被控訴人本人の供述として、原審、当審における被控訴人本人尋問の結果、検事又は警察官に対する被控訴人の供述記載として≪証拠省略≫があって、その内容は、いずれもほぼ被控訴人の右主張に符合するほか、前掲甲第三一号証(交通事故発生報告書)第一五号証(事故証明書)及び下記内容の医師等による診断書又は意見書等が存在する。即ち、

甲第一九号証(昭和四〇年三月三〇日付大川病院診断書)右肩胛部打撲傷のほか、頭部打撲症。

甲第四〇号証(同年一月二五日付淀川キリスト教病院診断書)右上背部及び右大腿部打撲症。

甲第三号証の一(同年二月一日付同病院診断書)右肩及び右大腿部打撲後外傷性神経症。

甲第四号証(同年同月一五日付市立吹田市民病院診断書)頭部外傷。

甲第五号証の一(同年三月二三日付阪大附属病院診断書)硬膜下血腫。

甲第五号証の二(同年五月二四日付同病院診断書)頭部外傷後遺症及び握力低下。

甲第六号証(同年八月二日付同病院診断書)左側頭部硬膜外血腫。握力左三二瓩、右一八瓩。

甲第二五号証(同年八月六日付同病院診断書)左前頭部手術創化膿。

甲第二六号証(同年八月一九日付同病院診断書)頭部外傷後遺症。

甲第二七号証(昭和四一年八月二三日付同病院医師宮川新太郎意見書)硬膜下血腫として昭和四〇年三月二七日左開頭術施行、硬膜外に血腫を認め除去。

甲第四九号証(昭和四二年六月三〇日付阪大病院診断書)頭痛耳鳴、悪心等の頭部外傷後遺症(右半身運動不全麻痺)、握力左一三瓩、右六瓩にて筋力低下。

甲第五〇号証(同年七月一四日同服部中央病院診断書)右上下肢弛緩性麻痺。

甲第五二号証(同年同月二六日付大阪府障害者手帳)右病名による身体障害者等級表二級の認定。

甲第五一号証(同年一〇月二七日付服部中央病院診断書)同病名により現症として、右上肢の機能全廃(一級)、右肩関節を前方及び側方にあげることができず、右肘関節の機能の全廃、右下肢の機能の著しい障害(四級)、約五〇米位しか歩行できず、約五分位しか起立できない。階段の昇降には手すりを要す。身体障害者福祉法別表中第四の第一の第二級に該当する。関節の運動性として、他働的には可、自働的には殆ど不能。握力は、左二〇瓩、右零。

甲第六〇号証(昭和四四年一月三〇日付同病院診断書)弛緩性麻痺。右上肢の機能全廃。

そして以上の各書証中、甲第二七号証以外は、成立に争のないものである、本件記録によると、昭和四二年二月二七日、原審における被控訴人本人尋問の際の宣誓書の署名にあたり、右手がしびれるため署名不能の旨申立て、書記官が代署しており、昭和四五年一〇月五日、当審における被控訴人本人尋問の宣誓書の署名についても、右手が使えないと言って、左手で自署していることが認められる。

(二) しかし、他面弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第二一号証(淀川キリスト教病院医員岩元怜の証明書)によると、被控訴人は、昭和四〇年一月二五日から同年二月五日まで淀川キリスト教病院へ通院し、頭部、頸部、腰部等の痛みを訴えたが、眼底所見及び四肢の神経学的検査の結果によっても、特記すべき異常を認められないと診断され、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第二二号証(吹田市民病院医師赤木愛彦の意見書)によると、被控訴人は、昭和四〇年二月八日から同月一二日まで、吹田市民病院へ通院し、本件受傷時に意識を失ったと云い、又約一週間後より、頭痛はき気あり、めまい、耳鳴りがあると訴えたが、臨床所見としては、他覚的脳及び脳神経症状を認めず、X線撮影によるも頭蓋骨に異常を認めず、とされ、また被控訴人が昭和四〇年三月二七日、阪大病院において硬膜下血腫の疑いで左頭部の切開手術を受けたものと認められることは、前掲甲第二七号証(当裁判所において成立を認める)甲第五号証の一、第六号証、第二五号証、証人井奥匡彦の証言、被控訴人本人の供述(原審)により明白であるが、他方、成立に争のない甲第二四号証、乙第一〇号証(カルテ)と右証人井奥匡彦の証言によると、被控訴人に対する右開頭手術は、確実な病的所見なくして行われた試験的穿頭手術であって、手術の結果は、少量の出血を認めたけれども、真正の血腫とは断定し難い程度のもので、頭部内には交通事故によると思われる確実な病変は存在していなかったことが認められるから、右手術の施行及びその事由として掲げられた頭部硬膜下又は硬膜外血腫の存在を記載する前掲各診断書は、信憑力のあるものとして採用することができず、また、右血腫と手術の点から、当然に、被控訴人が本件事故によって、頭部を打撲したとの事実を推測することはできない。また、証人赤松秀夫の証言によると、服部中央病院の医師である赤松秀夫は、前後二回に亘り被控訴人と称する患者を診察して診断書(前掲甲第五一号証及び甲第六〇号証)を作成したが、右の患者が果して真に被控訴人であったかの点については、単に患者自身の申告を信用しただけで、特別の調査はしなかったことが認められる。

(三) また、前掲甲第三七号証中末尾の被控訴人の署名部分によると、被控訴人は、昭和四〇年二月一三日、大阪地方検察庁に於て本件交通事故の被害者として取調を受けた時には、右手によると推測される自署をしており、前掲甲第三五、第三九号証中の各末尾の被控訴人の署名部分によると、被控訴人は、昭和四〇年二月二四日、淡路警察署に於て、同様取調を受けた時、何れも右手によると思われる自署をしていることが明白である。

(四) 当審における証人田村淳之助の証言(第一、二回)及び之によって真正に成立したものと認められる乙第三、第七、第八、第九、第一二、第一三、第一四号証(第九号証は一乃至六)、右田村証言と当審の検証の結果とによって控訴人主張の日に被控訴人本人の行動を撮影したものと認める検乙第三乃至第七号証(第三、第五、第六は各一、二、第四は一乃至四、第七は一乃至一〇)によると、被控訴人は、次のような言動をしていることが認められ、これを覆すに足る資料はない。

(イ)  昭和四二年七月一五日、同月三〇日、身長よりも二〇糎高い板べいに干してあるフトンを、両手を挙げて降し、右手でフトンをボンボンと叩いてチリを払い家の中に持込んだ。右手をかばっている様子はなく、フトンを降すのも自然で、普通人の右手と違っていない。

(ロ)  同年七月一六日、入浴の際、右手で風呂桶を持ち、湯をくみ全身に流して湯舟に入った。タオルを石鹸をつける時、右手で石鹸を持ちタオルに押しつけていた。タオルで身体を洗う時、左右の手を使っていたが、右手の使用が多かった。タオルを紋る時右手に力を加えて紋った。

(ハ)  同年七月三〇日長女を両手に抱えて湯舟に入れた。

(ニ)  同年八月六日自転車と空気入を持出し、表でタイヤに空気を入れた。その際両手に力を入れていた。自転車に乗って買物にスーパーマーケット「エース」に行く。スイカを右手に持つ。スイカその他をダンボール箱につめて自転車で帰宅した。

(ホ)  昭和四三年四月一七日右手で財布を出し、切符を買い、右手に切符をもち阪急電車に乗車、……右手を振る。右手で切符を渡した。

(ヘ)  同年五月九日右手に本一冊を持ち、自宅より出る。右手で箸をにぎって、そばをたべる。両手で本をささえて読む。一時頃家を出、三時頃まで歩いたりバスに乗ったりしている。歩き方は普通の健康体である。

(ト)  昭和四四年一〇月二四日外出、右手に傘を持ち、普通人と変らない。

(チ)  同年一〇月二九日、右手に鉄鎚を使い、ブリキを両手に持ち、全身を使い、二時間程かかって自宅の勝手口を修理、ドンドンバリバリと音が聞えた。

(リ)  昭和四五年八月一〇日、キャバレー・ワールド地下ホールに行き、ダンスに興じる。ホールを出て、梅田地下センターに下り、足早に地下鉄乗場へ行った。

(ヌ)  同月一一日午後八時三〇分頃右ホールに行き、年令二〇才位の小柄な女性とダンス。次に二五才位の美人にダンスを申込み、ダンス。両名はダンスを終え小走りでホールを退出したが、階段中央附近で四四才位の水商売風の和服姿の中年婦人が、本人を掴んでホールに引張って行く。……本人は右手で右女の顔面を数回殴り、右足を使って足蹴にしていた。本人と女性二名が表に出る。本人は突然大阪駅北側東口陸橋を独りで、走り出し、一挙に駆け上り、後もふり向かず、猛スピードで阪急梅田駅構内に姿を消した。右女性は本人とねんごろである如く、本人から一〇万円の借金を強要された。

以上の事実によると、被控訴人は、本件事故又は本件訴訟に関係のない分野においては、四肢、身体の運動に関して、殆ど普通人と変らぬ行動をしていることが明白であって、本件事故の後遺症として、その主張のような身体障害があるとの供述、供述記載の文書、そのような素振り、態度は、いずれも明らかに虚偽のものと認めない訳にはゆかない。それにもかかわらず、服部中央病院に於て前記認定の各診断を受け、大阪府から身体障害者手帖まで交付を受けることができたのは、恐らくは、被控訴人の巧みな申告や演出を看破し、又はこれを積極的に否定する手段を欠いたか、或いは患者の人定方法を怠ったかによる誤認の結果と見られ、右の診断や証明の存在は、本件の傷害肯定の資料となすに足りない。

(五) 次に≪証拠省略≫と原審における被控訴人本人尋問の結果によると、被控訴人は、昭和三八年一〇月頃右上膊神経痛を患い、同年一二月、右の原因として、脳脊髄梅毒症の疑いを持たれて治療を受け、一時治癒したと考えていたところ、昭和四〇年四月中旬に至り右脳脊髄梅毒が未だ治癒していなかったことが判り、治療を受けたことが認められ、また、前掲証人赤松秀夫の証言によると、右の梅毒症が存在すると、上肢の握力不足等の機能障害の原因を、本件のような交通事故に結びつけることはたやすく肯定できないこと、交通事故による後遺症は、日を追って悪化するものでないことが認められるから、被控訴人に事故当時右上膊に神経痛があり、そのため時に多少上肢の運動に軽微な障害を起したことがあったとしても、右は軽々に本件事故に基くものとは認めることができず、また前記各診断書の記載に見られるような傷害部位の増加や程度の拡大が、本件事故に因って生じたものとする被控訴人本人の供述は、たやすく措信できない。

(六) さらに、本件事故における被控訴人の身体の接触部位及び程度の点につき、検証の結果によると、本件事故車に積載していた木材の末尾突出部分が、歩行ないし起立中の被控訴人の身体の右側に接触すべき部位の高さは、右肩より下方、右ひぢの近くであることが認められ、反証がなく、この事実に、検証の結果から推測される当時事故車の右折運動による積荷材の末尾突出部分と、道路左側歩行者の接触の可能性は一般にはむしろ少く、あってもスレスレに近い程度のものであることと、前認定の事故当時の事故車と被控訴人の進行の速度、方向から生ずる位置と力関係、即ち事故車は時速約五粁で、六米位の道巾のカーブを比較的緩やかに右へ回り、後尾が左方へ旋回しはじめた頃、その積荷木材の末端ん近い部分が、真冬で厚着をして、更に、オーバーを着用して歩行していた被控訴人の右手に接触したという本件事故の場合は、その接触がたとえ不意であっても、当時三十才に満たない青年男子を跳ね飛ばして路上に転倒させるほど強烈であったとは推測できず、いわんや被控訴人が、この打撃に因り、一旦意識を喪失し、また忽ち意識を回復して、目前でなく、可なり離れた横道に一時停止していた事故車を直ちにそれと確認して、その脇まで急速に走り寄ったというのは、その経過自体余りにも不自然な点が多く、これを接触部位に関する被控訴人の曖昧な供述とその変動振り(右手、右肩、後頭部又は首附近など、供述の機会ごとに変転)に彼此対照して見ると全く釣合が取れず、いずれも当裁判所の心証を惹くに足りない(もし、被控訴人の言う通り、真に同人がはね飛ばされて転倒したのなら、オーバー等に汚水、その他が付着するはずであるのに、このような事実はなく、一瞬にせよ気を失った被控訴人が何らの苦痛を訴えることなく病院まで歩行しており、診断に於ても痛くない方の手を挙げることを命ぜられたのに痛い方の手(被控訴人の言う痛い方の右手)を挙げた等の行動(原審控訴人源左衛門本人尋問により認める)は全く辻褄の合わぬものというべきである)。そして前記各診断書中、頭部外傷や大腿部打撲症の負傷を記載した部分は、被控訴人が病状を申告、強調した場合に、これを積極的に否定する資料がないときは、往々右申告のままを症状として記載されることが有り得ることと、被控訴人の前示虚偽の言動とに鑑み、直ちにこれを以て、本件傷害の証明としては採り得ず、又前掲甲第一五号証、第三一号証中被控訴人が転倒したことを記載する部分も、作成者が実見した訳ではなく、被控訴人の申告をそのまま採用したに過ぎないものと推測され、反証がないから、結局右書証供述ともに信を措くに足りないから、本件接触事故により、被控訴人が路上に転倒した事実も、確認し得るに至らない。

以上の通り、本件事故によっては、前段に認定した通りの右肩関節部(これも事故の経過から見ると不正確と言わざるを得ないが、右上膊部の意味に解する)打撲症以上ないし以外の傷害が生じたことは認められない。

四、ところで控訴人源左衛門が本件事故車により被控訴人に加えた前記接触による傷害は、被控訴人を含む歩行者を視認しながら、右折操作に際し、事故車の後尾にある積載木材の末尾突出部分が歩行者に接触しないように注意して慎重に転回すべき注意義務に反して、事故車の接近、転回に気付いていた気配のない被控訴人に、これを接触せしめたものであって、その間同控訴人の運転操作上の過失のあったことは極めて明白である。ところで、前認定の被控訴人の傷害は、全治まで約一〇日間と診断された軽微な打撲症であったところ、前掲甲第二二号証、第四号証と原審における被控訴人本人尋問の結果によると、被控訴人は、本件事故前は、バー「クラブ・ロンド」で調理士見習ないしはバーテンの職に在った者であるところ、前記受傷により大川病院の診断を受けた後昭和四〇年一月二五日から同年二月五日まで淀川キリスト教病院で診察治療を受け、次いで転医して同年二月八日から同月一五日まで吹田市民病院で診察、治療を受けたことが認められ、反証がない。

そして、右の通り淀川キリスト教病院から転医する頃には、事故後十数日を経過し、しかもその間治療を受けているから、当初の打撲症は全治すべき時期が到来しており、かつ前掲甲第四号証によると、吹田市民病院で診察を受けたのは、頭部外傷の名目のみであったことが認められるから、当初の打撲症は、少くともこの時期までに、全治していたものと推定され、反証がない(右時期以後の他の診断書類の記載が措信できぬこと前述の通り)。そして、右淀川キリスト教病院までの治療費は、すでに控訴人末蔵が支払ずみであることは、被控訴人の自認しているところである。

そうすると、被控訴人の請求する損害中、療養費は、すべて、右吹田市民病院転院以後のものに該当するから、その請求が理由のないことは明白である。次に逸失利益については、右腕の麻痺による調理士としての就労不能を理由とするものであるところ、右の麻痺が認められず、仮りに右腕に若干神経痛的症状があったとしても、それは、本件事故に因るものとは認め難いこと前認定の通りであるから、右の麻痺を理由とする逸失利益の請求は、他の争点を審査する迄もなく理由がない。又、慰藉料の請求について見ても、右請求は専ら頭部外傷を基本とする後遺症の苦悩を原因とするものであるから、右頭部外傷自体(後遺症は勿論のこと)が肯認し得ないこと前述の通りであるから、慰藉料請求は、認める訳にはゆかない。又弁護士費用についても、本件事故の受傷の実体は、前示の如く軽微な打撲症であり、本訴の基本請求が前記の通りすべて理由がないものである以上、これにつき弁護士を選任して訴訟を提起する理由も必要もなかったものといわざるを得ず、弁護士費用の請求が理由のないことは、多言を要しない。

五、そうすると、被控訴人の請求はすべて理由がないものであるところ、これを一部認容した原判決は失当であるから、控訴人らの敗訴部分を取消して被控訴人の請求を棄却し、附帯控訴は理由がないから、これを棄却すべきものとし、訴訟費用につき民事訴訟法第九六条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 宮川種一郎 裁判官 林繁 裁判官 平田浩)

〈以下省略〉

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